ルーツの旅

ルーツの旅

世の中に溢れる様々なもの、の中から気になるものを拾い上げてそれのルーツをたどります。

利き手の旅

僕は左利きです。

 

我が家レベルで元を辿れば父も兄も元々は左利きでした。なので利き手に遺伝的要因が強く影響されることを僕は身をもって実感しています。ただ、父も兄も幼少期に矯正して右利きになっていたので、僕が物心ついた時には二人とも右手で食事をしていました。なので今現在我が家における純粋な左利きは僕一人になってしまいました。

 

父や兄の幼少の頃は左利きはまだ「矯正される」ものでした。おそらくそれより前の祖父母世代にとって左利きは一般的なものではない=日常生活に支障をきたす(障害チックなもの)という認識がされていたからだと思います。確かに文字を書いたり道具を使ったり、不都合が生じることは左利きの生活をしていると至る所であります。

 

右を表すRightという英語は「正しい」という訳もされます。つまり右手は正しい手。握手するときも大体は右手を使います。

一方左手を正しくないものとする文化も様々なところで見られます。イスラム教で左手が「不浄の手」とされているのが最たる例でしょう。

 

左利きに関する面白いスピーチがTEDにありました。5分少々の動画なのでお時間あればご覧ください。

 

「左利きの人がいる理由」ダニエル・M・エイブラムス(2015/2/3)

www.youtube.com

 

現在では世界の人口のおよそ10人に1人が左利きらしいです。こうやってみるとなんとなく多いような気もしますが、確かに言われてみればクラスに2人3人はいたから多分そうなのでしょう。

 

余談ですが、中学生の頃体育でソフトボールをやることになったのに、うちの中学校には左利き用のグローブが一つもありませんでした。野球部がなんとか持ってきた左利き用グローブ一つを僕含め3人で譲り合って使っていた苦い思い出は今でも忘れません。

 

また考古学的(骨密度が違う遺骨の割合等)にも、およそ50万年前からこの比率(左利き10%)だったと言われているようです。50万年前には野球も誕生していないのでグローブを取り合って咽び泣くこともなかったでしょうが、左利き用の道具もこの頃にはすでにあったとされています。

 

でも50万年前から淘汰もされず、増えもせず、全く比率が変わらないのはなぜでしょうか。エイブラムスは先に挙げたスピーチの中で、その理由として「競争圧力と協調圧力のバランス」をあげています。

 

まず競争による圧力。対人スポーツの中にはテニス、野球、ボクシングなど左利きというだけで有利に働くものがたくさんあります。(少なくとも野球は左利き用のグローブが手元にあればですが。)大半の選手が右利きなので、普段の練習相手も自ずと右利きが多くなります。なので右利きの選手への対策は取れる。そこに左利きが出てくると混乱してしまう。一方左利きは普段から右利き相手に練習しているから、違和感なく対峙することができる。

 

人口における不均衡によって左利きの選手が優遇されるこの状況は「負の頻度依存選択」の一例とされていて、進化の理論によると相対的優位のある集団は、その優位性がなくなるまで成長を続けるとされています。戦闘や競争のみを続けていればそのうち左利きの割合は増えて、最終的には半々に(50%が左利き)なるとのことです。

単純に強い方が残る世界ならそうなるであろうことも容易に想像できます。

 

でも世界はそうならない。それに関わってくるのが協調性による圧力だとされています。先に挙げた対人のスポーツであれば、確かに対戦経験の少ない左利きが有利になるのかもしれませんが、そうじゃないスポーツ、例えばゴルフなどでは利き手による優位性はあまりありません。むしろ始めたての頃は道具が手に入りやすい都合上右利きの方が有利だと考えられています。確かに自分の周りでも右利き用のゴルフセットは先輩から後輩に脈々と受け継がれていたのにもかかわらず、左利き用は一度も見たことがありませんでした。だから僕はゴルフを始めませんでした。

 

ゴルフに限らず様々な道具の多くは右利き用にデザインされていて、それが右利き優位な世界を形成しています。スポーツに限らず音楽面でもそうですよね。ギターを始めるにあたり右利き用を買うか、左利き用を買うか迷った左利きの方もたくさんいるんじゃないでしょうか。僕は「他の人のギターを借りた時に弾けなくなることを避けたい」という理由で右利き用を買いましたが、右利きであればそもそもそういう迷いも生まれないですよね。羨ましい。

 

その「競争」と「協調」の絶妙なバランスが保たれている結果、左利きの割合が10%に保たれているというのがエイブラムスの説であり、なんとなく納得してしまいました。これ以上平和な世界では左利きは淘汰されてしまい、これ以上厳しい世界では左利きが増殖する。バロメーターみたいでちょっと面白いです。

 

また、(少なくとも自分の周りでですが)左利きに対する偏見もあまりなくなってきたように感じます。むしろ先に挙げた競争圧力的な部分で左利きが有利になるということから、「矯正する」という選択を取らない人も増えてくるのではと思っています。

また道具に関してもユニバーサルデザインな(右利き左利きどちらでも使える)ものが今後どんどん増えていけば、右手優位になる状況も少なくなっていき、そのうち左利きの割合がもう少し増えていくのではないかというのが持論です。

なので全国各地の小中学校には体育の授業に備えて、左利き用のグローブを必要数購入しておいてほしいものです。

 

最後に、日常不便なことは多々あるけれど、

僕は左利きに生まれたことを嬉しく思っています。

 

シモダ

純喫茶と贅沢とユーモアの旅

2018年、僕の中では空前の純喫茶ブームが来ています。

 

舌が敏感な方ではない僕の心をくすぐるのはもっぱら、癖のある看板のロゴや、古びた木のテーブル、銀の砂糖入れ、厚みのあるおしぼり、黄ばんだメニューなど、お店の環境を作っているハードの部分です。

変わっていく世の中を尻目に変わらなかった「世界の片隅」を垣間見ているような気がして、同時にどうしても見過ごすことのできない(見過ごしてはいけない)何かが、そこにはあるような気がしてならないのです。

 

 

日本で喫茶店という業態が開発されるはるか以前、カフェのルーツは1554年、オスマン帝国(現在のトルコ)の都コンスタンティノープルに始まります。その後、17世紀になるとウィーンやパリ、ロンドンなどのヨーロッパ諸都市にカフェの文化は波及しました。

 

(余談ですが、「カフェ」とはもともと「コーヒーという飲み物」自体を指していたものが「コーヒーを飲む場所」を指すように意味が横滑りした歴史があるので、以前のブログで紹介したメトニミー的な意味派生を経験している言葉です。)

 

ヨーロッパを中心に普及したカフェは、ただコーヒーを飲むだけではなく知識人や思想家、芸術家など(僕は「社会のメインストリームから一歩引いた視座から、本質を見極めようとする姿勢を常にもっていた人たち」だと考えています)が情報交換や議論をするサロンとしての機能も持っていました。

実際、最初期のカフェが興ったオスマン帝国では16世紀末にカフェでの政治批判が問題となり、カフェ閉鎖令が出されたという歴史があります。

 

建築家のクリストファー・アレグザンダーがカフェの存在理由として「人びとが衆目のなかで合法的に腰をおろし、移りゆく世界をのんびり眺められる場所としての機能」を挙げていることは、言い得て妙です。

また、こういった談論とカフェとの文化的つながりは"talk over coffee"(コーヒーを飲みながら話す)というイディオムが現代英語に残されていることにも表れています。

 

海を越えて、日本で初めてのカフェがオープンしたのは1911年。

銀座に「カフェー・プランタン」が、パリのカフェを模倣した文学者や芸術家の交際の場として開業しました。本場ヨーロッパと違ったのは、女性の給仕(ウェイトレス)を置いていたことです。

 

大正から昭和初期にかけて、カフェはこの女性給仕によるサービスを売り物にするようになりました。夜にはアルコール類を提供し、隣に座った女性の給仕にチップを払うという今でいうキャバクラのような風俗的業態に方向転換していったのです。

 

しかし、全てのカフェが風俗営業を行なったわけではありません。

中にはもちろん、喫茶と談論の場としての機能にあくまでもこだわったカフェも多く存在しました。

彼らは自分たちを風俗営業を行う喫茶店から区別するために、自分たちの業態を文字通りピュアな喫茶店として「純喫茶」と再命名(レトロニム)しました。

 

これが、日本における「純喫茶」のルーツです。

 

 

去年の僕のテーマは、好きなロックミュージシャンの書いた曲から引用した「贅沢とユーモア」でした。

時代の遺物とも思われがちな純喫茶にこそ贅沢とユーモアが体現されていると気づいたのは今年に入ってからのこと。

 

純喫茶のコーヒーって、今風のチェーン店と比べてちょっと高いんですよね。

内装は開店当時の流行を反映してか、今見ると装飾過多だったり、どことなく変な意匠が取り入れられている。

 

贅沢とは必要最低限よりちょっとだけ多くのお金や時間を(わざわざ)かけること。

ユーモアとは日常のなかの少しの違和感を楽しむこと。

 

この2つを意識するだけで、黙っていても過ぎていってしまう時間をいつもより少しは大事にしてあげられると思うのです。

 

「贅沢とユーモア」、気に入ったので今年も僕のテーマのひとつに据え置こうと思います。

 

nadi

 

電話の旅

スマートフォンって便利。

 

電話機能は当然ありながら、ある時は目覚まし時計になり、ある時はカメラになり、ある時はラジオになり、ある時は辞書になり、ある時は財布になり、ある時はゲーム機になり、エトセトラエトセトラ。この機器のおかげで僕らの生活は随分と便利になり、僕らの荷物は随分と減ったと思います。

 

もはや持っていなかった頃のことを思い出せないくらい日常をともに過ごしていますが、遡っていくとおよそ十年前はまだ一部の人しか持っていなくて、大半はガラケーを使っていた時代でした。僕が大学に入学した時はまだLINEもなくて連絡先交換は電話番号ないしメールアドレスを教え合っていました。今思えば相当面倒ですね。

 

もっと遡っていくと、高校入学前後で皆が携帯を持ち始めました。僕の年齢もある程度このへんで予測ができるかと思います。その頃携帯にカメラが搭載され始め、まだデジカメの画素数にははるか及ばないものの手軽に写真が撮れ、かつそれをメールに添付することができる(写メール。死語。)というプチ革命を体感した記憶があります。

動画も今みたいに綺麗なものが撮れるというわけでもなく、10秒そこらの短い時間しか撮影不可。しかも画質最悪。だったものの、それを手軽さが勝り、意味もなく動画を撮ってはキャッキャする青春を過ごしました。

 

個人的な思い出話をだらだら続けても誰の得にもならないので、脱線して(というより本線に戻って)電話のルーツをこのまま辿っていきます。

 

日本で初めての携帯電話は、1970年に開催された大阪万博の電気通信館で展示された「ワイヤレスフォン」だと言われています。その後1985年に電電公社から民営化したNTTが初のポータブル電話機「ショルダーホン」を発売しました。ショルダーバッグみたいなものを肩からぶら下げている写真、見たことある方も多いのではないでしょうか。その2年後の1987年、ショルダーホンより小型化されたいわゆる「携帯電話」が発売されました。小型化されたとはいえ重さは1kg弱あったようですが。

1990年代の頭には超小型携帯電話(すでに小型携帯を出してしまったから「超」とつけざるを得ない状況。こういう止む無し感は割と好き)が発売され、1994年にツーカーグループとデジタルホングループ(現ソフトバンク)が新規参入し業界の競争が激化、2000年にJ-PHONE(現ソフトバンク)から初のカメラ付き携帯電話が発売されました。

 

本当にざっと辿りましたが、こうやってみると約20年前にはまだ携帯電話にカメラはついてなかったし、携帯されるようになったのも約30年前だし、そのちょっと前にはまだ肩からぶら下げて電話するのが最先端だったし、半世紀前には携帯電話自体この世に存在してなかった。

 

半世紀を長いと見るか短いと見るかはひとそれぞれですが、

僕はここまで暮らしが変わるのって単純にすごいことだと思っています。

と、同時にここからの半世紀後にどう変わっているのかがすごく楽しみです。

(この目で見られるように健康に気を使おう。自戒。)

 

ここで再び誰の得にもならないであろう僕の話に戻りますが、小さい頃から糸電話が大好きで。紙コップとタコ糸でよく作っては遊んでいた記憶があります。

あの「振動」で相手に伝える仕組みがもうたまりません。

 

振動で音声を遠くに伝える仕組みは、ベルが電話を発明するよりも早い1660年代にはイギリスのロバート・フックによって実験されています。ちなみに金属缶の間を糸や針金で結んだ電話のことを当時「lover's phone」と呼んでいたそうです。たまりませんね。

 

電波通信と違って、その糸の届く範囲でしかやり取りのできない不便さ。ただその制約があるから結果的に相手との距離感をこの目で見ることができる。相手の存在を糸の向こうに感じることができる。なんというかそういう不便さの中にある大事な部分はこの先どれだけ便利な世の中になっていっても忘れないようにしないといけないのかなと、思っています。(本日2度目の自戒)

 

糸電話とかって最近の子供も作ったりしてるのかな。

それともすでにスマートフォンを駆使しているのかな。

どっちなのかな。気になります。

ポップコーンとプルーストの旅

映画館の匂いが好きです。

 

ロビーに入るやいなや漂う、あのキャラメルポップコーンの匂い。

大抵はポップコーンもコーラも買わず、目当ての作品のチケットを買ってさっさと上映のシアターに入ってしまうことが個人的にはほとんどなのですが、あの幼いエンターテインメントな匂いが僕はたまらなく好きです。

 

僕の友人の映画マニアも含め、「映画上映中にポップコーンを食べる」ことへの批判はそこそこ多い気がします。たしかに、緊張感のあるシーンで横の席の客にボリボリとポップコーンを食べられたら、ちょっと気にはなってしまう。

 

映画館のポップコーン文化はいつ始まったのでしょうか?

 

物の本によると、ポップコーンが一般的なお菓子としてアメリカで知られるようになったのが19世紀半ば以降。特に、蒸気によってポップコーンを作る移動式の機械が1885年に発明されたおかげで、サーカスや縁日といったエンターテインメントの場で楽しまれるようにりました。トウモロコシの穀粒がはじけるポンポンという音が、そのままエンターテインメントとして捉えられたこともあったのでしょう。

 

ところが、数ある興行の中でも、当時ポップコーンの姿が見られなかったのが映画館でした。その理由には、当時映画館の館内は高級なカーペットが敷かれており、ゴミの出るものの持ち込みが禁止されていたことと、音を出すことに今以上に敏感であったことが挙げられます。

当時の映画は現在と違って音声のない無声映画

役者のセリフは音声ではなく字幕を読んで理解する必要があったため、必然的に映画興行のターゲットは教養のある(文字の読める)人に限定され、映画鑑賞は高級なエンターテインメントと認識されていました。もちろん、音を出すのが嫌われたことも同じく「無声映画」という特性を考えれば理由は明らかです。

 

そんな映画興行の場とポップコーンが出会ったのは1920年代。

音声が加えられたトーキー映画の公開と世界恐慌のタイミングが重なったのです。

映画館は庶民が束の間の娯楽を楽しむ場となり、5〜10セントで買えるポップコーンは物価上昇に苦しむ庶民でも手の届くちょっとした贅沢品として楽しまれるようになりました。

当初は映画館の近隣の屋台で商人が販売したり、その後は映画館が館内でのポップコーン販売権を商人に売ったりなどしていましたが、最終的には映画館が自らポップコーンを客に販売するようになりました。

さらにポップコーンが映画館に定着したのは第二次世界大戦の頃。

砂糖が不足したことでキャンディーのような甘いお菓子はそれまでに比べアメリカでも入手がし難くなり、(主に塩味の)ポップコーンがいつでも食べられるスナックとして人気を集めたそうです。

 

つまり映画館とポップコーンの蜜月関係は、映画技術の進歩という変化と、社会の動乱のさなかでも庶民にとって等価値であり続けた不変に、そのルーツを見出すことができます。

 

 

ところで、映画館の匂いが好きですと冒頭に書きました。

ポップコーンの甘くて香ばしい匂いが、映画館という場所の記憶と結びついているわけです。

 

匂いから過去の記憶が呼び起こされる心理現象は、フランスのある文豪の名前をとって「プルースト効果」と呼ばれています。彼の作品で主人公が紅茶にマドレーヌを浸した時に幼少期の記憶がよみがえる描写があることから、この名前が付けられました。

 

僕はこの感覚が大好きです。

みなさんも経験があるのではないでしょうか?

おばあちゃんの家の匂い、友達の家の匂い、教室の匂い、病院の匂い。

夏の夜の匂い、冬の朝の匂い、夕方の匂い、土曜の昼の匂い。

いつか読んだあの本の匂い、よく遊んでいたあの公園の匂い、左手に残ったあの子の匂い。

 

ちょうど今くらいの時期、朝、外に出て白い息を吐いてから思い切り息を吸い込むと、ひりっとした冷たい匂いがして、いつかのつらかったマラソン大会を思い出します。

 

嗅覚は五感の中でも特殊で、他の感覚とは違って人の記憶や感情、本能的行動を司る脳の部分に直結して伝わるそうです。

 

匂いを媒介にして、普段思い出すこともないような幼い記憶を、鮮明な情景ではないけれど鮮烈なイメージとして思い出すその時、僕はどうしてもノスタルジックでセンチメンタルな気持ちに心臓を掴まれるとともに、懐かしい友人と街中でばったり出会ったような嬉しさを覚えます。

 

今、どんな匂いがしますか?

その匂いで、いつかこんな文章を書いている誰かがいたことを思い出してもらえれば、そんなに嬉しいことはありません。

 

nadi

 

ばらばらと世界の旅

星野源の「ばらばら」という歌がものすごく好きで、今日も聴いていました。

その中でサビに出てくる「世界はひとつじゃない」ってフレーズを聞いて、いつもは別になんとも思わないんですが、今日はなんかゾワッとして。なんでだろうと考えた挙句、

 

世界ってどこにある?

世界の終わりはいつ?

そもそも世界って、何?

 

という問いにたどり着きました。普段なら3秒後には忘れてますが、せっかくなのでちょっとだけ考えてみます。ちょっとで終わればいいなと思いつつこれから見切り発進書き進めます。

 

まずは「世界」という単語の意味を調べましょう。

 

「hey siri! 世界って日本語の意味教えて」。

 

、、、すぐにwikipediaの該当ページを教えてくれました。ありがとうsiri。世界の意味も知れるし、自分の滑舌がまだまだ大丈夫だってことも知れたからなんだか得した気分。

 

そのままコピペしても面白くないので自分が気になった意味の部分だけ、はしょって書いていきます。すべての意味をご確認されたい方は今すぐお手元のiphoneに向かって「hey siri!」とお呼びかけください。iphoneユーザーでない方は周りの友人に借りるか、お近くのApple Storeに行くか、辞書を引いてください。

 

1.地球上のすべての地域・国家。

模範解答すぎて全然面白くない。あえてひねくれて海の上はどうなる?とか考えるまでもないくらい面白くないですが、模範解答なのでとりあえず。

 

2.自分が認識している人間社会の全体。人の生活する環境。世間。世の中。

一つ前の意味よりだいぶ範囲が狭まりましたね。かつちょっと面白くなってきました。確かに「住む世界が違う」なんか、日常で殿上人を見た時によく使う。自分の認識の内側にあるものが世界だと考えればその世界はひとつじゃないという星野氏の言説にも深く同意できます。

 

3.ある特定の活動範囲・領域。

「学問の世界」や「芸能の世界」など。一度でいいから「勝負の世界」に足を踏み込んでみたいものです。自分はどんな世界で活動しているのかちょっと考えました(約2秒)が、適切な表現が全く出てこなかったのでおそらくここでいう世界の中には今のところ僕はいません。

 

4.自分が自由にできる、ある特定の範囲。

どんどん範囲が狭まってきているような気がします。ここまでくるともはや自分の世界。マイワールドです。英語にした意味は特にないですが、大学時代に一人だけ「マイワールド」をあだ名に持つ友人がいました。確かに独自の世界観を持っていました。元気にしてるかな。

 

5.《〈梵〉lokadhātuの訳。「世」は過去・現在・未来の3世、「界」は東西南北上下をさす》仏語。

仏語ってかっこいいですよね!僕の中にある中学2年生の部分がざわついています。「世」は過去・現在・未来の3世、「界」は東西南北上下をさすってのがたまらない。全国の中2男子のときめく様子が目に浮かびます。

 

他にも色々な意味がありましたが、意味をお伝えするコーナーではないのでこの辺にしておきます。もう個人的にはだいぶスッキリしてきているのでいつ筆をおいても大丈夫です。界が東西南北上下をさすってのがわかっただけで充分な収穫。

 

もう少し続けますが、個人的に興味があるのは地図上で確認出来るような目に見える世界じゃなくて、もうちょっと狭い、概念的な世界(=世間)の方です。

 

「世間知らず」という言葉は誰しも聞いたことあるかと思いますが、そもそもこの世間って誰にとっての世間なのかもいまいちピンときません。同じような部類でいくと「非常識」とかもそうなんですが。世間をあくまで「自分が認識している自分の周りにあるもの」と考えるなら、それを知らないのってどういう状態なんでしょう。もしくは一般教養的な世間がどこかにあるんでしょうか。奥の方に生えてくる歯を「親知らず」というのと同じくらい謎が深いです。「知らず」の意味をそもそも知らない。

 

「よし、私の世間はここまでよ」なんて目に見える線を引くことはできないし、どこまでが含まれているか自分でもよくわからない。概念ってまぁそういうものなんでしょうが。そんな中で少なくともわかる、というか間違いなく言えることは、自分の知っている世間がこの世の全てって訳ではないことくらいです。だから世界はひとつじゃないってことしか言えないし、もともと特別なオンリーワンってことしか言えません。

 

結局世界がどこにあるのかもわからなかった。

いつ終わるのかも皆目見当つかない。

 

今わかるのは新世界は大阪にあるってこと。

そしてそこの串カツは美味しいこと。ぐらい。

 

シモダ

火の旅

僕が高校を卒業するまで住んでいた街は、JRも通っていないような田舎の片隅にありました。子供心をくすぐるような娯楽施設なんて当然なくて、僕らの遊び場は基本的に公園や山でした。あとは市民体育館の卓球場とか。

 

今みたいにスマートフォンが流通しているわけでもなく、ましてやHuluやNetflixなんかあるわけもない。かろうじてある小さなTSUTAYAにビデオを借りにいく。もしくは金曜ロードショーまで我慢する。そんなエンタメに乏しい生活の中でも、週刊少年ジャンプだけはほぼ全ての少年が読んでいました。みんな火曜日を待ち焦がれ、いち早く雑誌を手に入れようと駄菓子屋に駆け込み、学校に持ち込み回し読みしていました。個人的には木曜日の週刊少年マガジンも愛読していました。

 

そんな生活にどっぷり18年間染まった状態で地元を離れ、都会に出てきてまず驚いたのがジャンプの発売日が火曜日じゃなかったこと。マガジンの発売日が木曜日じゃなかったこと。でした。月曜日のコンビニには当然のようにジャンプが並んでるし、水曜にはマガジンが手に入る。自分の中での当たり前が世間の当たり前じゃないことに気づいた瞬間。でした。

 

ただ僕にとっては今でもジャンプは火曜日。

毎週フライングで読めるのが嬉しい。

 

そんな火曜日。なので火にまつわる話でも。

 

彼此云十年前僕らの祖先が火を使い始め、約30年前には人類はもう日常的に火を扱っていたとされています。ある時は光源として、ある時は熱源として、またある時は外敵に対する威嚇として、火は人類を守り続けてきました。住居(屋根)がつくられるようになったきっかけは、火を雨風から守るためだとも言われています。

より多くの食物を美味しく且つ安全に食べることができるようになったのも、火(加熱調理という手法)によって人類が得た大きな利益です。ユッケも美味しいですが。。。

火を道具として使いこなすことで、人々は知恵をつけてきたのかもしれません。

 

ながーーーーーい間人類の身近なところにあったからか、火は様々な象徴としても扱われているような気がします。見えないものの喩えとしての火について、今思いつく限り列記していきます。

 

1.生命の象徴

風前の灯(ともしび)に代表されるように、火は生命力を表すものとして度々描かれています。ろうそくの炎がその人の寿命みたいな話だったり、不死鳥が火の鳥なのもそのあたり関係してそう。BUMP OF CHICKENのfire signも。

 

2.根拠の象徴

火のないところに煙は立たぬ。火は時折いわゆる「根拠」のイメージとして使われています。火を見るより明らか、なんてのも「火=根拠」を前提としてそれを上回る根拠(もう絶対的なそれ)の前でしか使いません。

 

3.死(終わり)の象徴

死の象徴にも度々火が用いられます。1.の生命力に対応する形ならば「火が消える=死」。ろうそくの炎が消えるイメージでしょうか。またそもそも火のあるところは危ないところ。飛んで火にいる夏の虫、なんてのも「死にに行く」ことの喩えとして使われています。

 

4.恐怖の象徴

ブログが「炎上」したり、野球でピッチャーが打ち込まれて「火だるま」になること。3.の死に近いかもしれませんが、これらは恐怖の象徴です。僕も今このブログを更新するにあたり連日尻に火がついています。震えるほど楽しいです。

 

5.始まりの象徴

3.と順不同になりましたが、終わりがあれば当然始まりもありますよね。「火がつく」というのは何かの始まりを意味する言葉としてよく使われています。それが恐怖だったり恋心だったりで、心持ちは全く異なりますが。

 

6.伝説の象徴

初代ポケモン。(戦力になるかどうかはさておき)見た目は一番カッコよかった。

 

火は至極日常的に目にするし、使うものです。ただ今現在それを完全に扱いこなせてるのか。こなせてないと思います。こなせてたら消防関係者の仕事がなくなります。多分この先も完全に扱いこなせる日が来るとは思えない。そのくらい何があるかわからない一面もまだもっている。人類にとって「かかせないもの」であり「危険なもの」である。その二面性が様々なものの喩えにされる所以なのではないでしょうか。

 

火元の始末にはくれぐれもご注意を。

とはいえ尻に火がつくような状況はどんどん作りたい。

そう思いながら、明日のマガジン発売を待つ次第。

 

シモダ

尾の旅

全ての生物は神が創造したというそれまでの常識に一石を投じたのがダーウィンの「進化論」であるというのはあまりにも有名な話。

ヒトはサルから進化したなどど言うものですから、神を中心とする宗教的価値観が尊ばれていた当時の社会からは大変な批判を浴びたと言います。

 

ダーウィンの進化論の軸になっているのは「自然選択」という考え方です。

キリンの首が何千何万という年月をかけて長く進化したのは、高い木の草を食べる「ために」そうなったのではなく、同じ種の中でも首が長めの遺伝子を持つ個体も短めの遺伝子を持つ個体もいて、前者の方が結果的に高い木の草も食べられた「から」より多くの子孫を残すことができ、結果的に「首が長い遺伝子」が生き残り「首が短い遺伝子」が淘汰されていったから。というのが自然選択のざっくりとした要旨です。

 

太古の昔、哺乳類というカテゴリの生物が生まれ、知能に優れたサルという種が発生し、二足歩行で移動しながら言語を操るヒトが誕生しました。

この中で、気温の変化に耐えることができたり手が発達したりといった様々な進化が当然なされてきたのですが、この中で失われてきた形質もあります。

ヒトにはサルのような敏捷性も毛皮もないですし、尻尾も生えていません。

 

でもこれって、冷静に考えると少しおかしくないでしょうか?

 

自然選択の考え方に立ち返ると、生物の進化は「用不用」(=いる・いらない)ではなく「その方が結果的に生存しやすかった」という環境への適応で決まるはずです。

「知能が高い方が群れでうまく生存できた」とか「二足歩行の方が前足を手として使え、細かい動きができたから生存しやすかった」というのは分かるのですが、「尻尾がない方が生き残りやすい」理由がいまいちよく分かりません。

自然選択説にのっとるならつまり、「尻尾がいらなくなった」だけでは説明がつかず、「尻尾がない方が子孫繁栄に有利」な理由が、尻尾の退化という事態を説明するには必要なはずです。

 

なんとなく調べてはみたのですが、どうもしっくりくる回答が得られなかったので、「たぶんこうなのでは」といういくつかのヒト尻尾退化要因をこの場を借りて発表させていただきます。

 

 

①寒いと冷える

僕みたいな末端冷え性からすると、かなり冷えそうです。長ければ長いほどだめです。

 

 

②服を着るとき邪魔

今のスタイルのヒトなら足を入れる2つの穴さえあればパンツを履くことができますが、尻尾があるともう一つ穴が必要になります。縫製が大変ですし、耐久性も気になります。

 

 

③見つかりやすい

岩の陰に隠れているつもりが、尻尾が…

頭隠して尻隠さずとはまさにこのこと。

 

 

④絡まる

多くのヒトは何かが「絡まる」ことを嫌う傾向にあります。ポケットの中でイヤホンが絡まったり、靴紐がなぜだか固結びになってしまったり。もしも尻尾が生えていたら満員電車なんて乗れたもんじゃないです。

 

 

⑤青少年の健全な成長に不適切

若い女性の臀部から細く長い綺麗な尻尾が生えていたらなんとなくセクシャルな雰囲気がしますから、思春期のオスのヒトの性的感情をむやみに刺激してしまう恐れがあります。

 

 

⑥身体的差別につながる

尻尾にももちろん個体差があるはずです。短かったり長かったり、太かったり細かったり、毛の濃さや色の黒さなど。ただでさえ「人と違う」ことを攻撃しようとする種族がヒトですから、尻尾がまたいらぬ争いを招いてしまうかもしれません。

 

 

⑦動物を捕食しづらい

尻尾があるだけでアニマル感が出ます。ヒトが草食動物なら良かったのですが、牛や豚、鳥なども食糧とし栄養を取る必要があることを考えると、尻尾があるとどうしても哺乳類としての同族意識から他の動物を屠殺することがためらわれます。

 

 

⑧どうしても可愛い感じになる

特にオスには致命的です。どんなに顔が怖くても嬉しいと無意識に尻尾を振ってしまったりするので、かわいいです。

 

 

ツンデレ

「べ、別に嬉しくなんかなんだからね!」(尻尾ブンブン)

 

 

10個考えようとしていたのですが、無理でした。

詳しい方がいたらコメントで教えてください。

 

 

nadi.