ルーツの旅

ルーツの旅

世の中に溢れる様々なもの、の中から気になるものを拾い上げてそれのルーツをたどります。

間の旅

 前回の旅で青色について辿りました。

青色は間の色というお土産を持って帰りました。

 

それ以降、間(ま、あいだ)についてぼんやりと考えています。そのせいで更新の間が空いてしまった。なんてことはないですが、今日は間についてつらつらと書いていきたいと思います。

 

さて突然ですが、あなたは「間」という単語から何を思い浮かべますか?

 

暮らしの中には、いろんな間があります。人との間で生きているから僕らは「人間」になる。世の中を泳いでいるとそこには「世間」がある。昨日と明日の間には今日という「時間」がある。何もないところに壁を建てるとそこには「空間」が生まれる。ブログの更新をサボればそこには「間隔」ができる。

 

尺貫法にある間(ケン)は、柱と柱の間隔を示す単位として使われていました。目の前に柱が2本ある方はそちらをご覧ください。その間の距離が1間。もし視界に他の柱がある方はそちらもご覧ください。その間の距離も1間。あなたが見ている柱と僕が見ている柱はおそらく違いますが、どっちも同じ1間です。その距離感は建物によって、下手すれば同じ建物でも場所によって異なる、そのくらい数値としては曖昧なものです。

 

曖昧さに着眼しながら考えていくと、上にあげた様々な間も総じて曖昧です。時計や壁、町内会などで区切ることによってその距離感を明確にすることはできますが、ただそれはあくまで人々によってつくられた定義みたいなもの。

 

例えば時計がなければいつまでが昨日でいつからが明日が認識することは難しいんじゃないでしょうか。いつ午前0時を過ぎてるかわからないから、ハッピーバースデーを一番に届けることもできない。午前2時がわからなければフミキリの前で望遠鏡を担いで待ちぼうけしかねない。西から昇ったお日様が東に沈む〜のような世界観しか残りません。それでいいのだ、なんて軽々しく言えません。

 

青色の旅でも書きましたが、間(アヒ)は会う(アフ)の連用形。文字通り僕らが間を形づくるのは、何かに出会った瞬間、何かを対象として認識した瞬間です。そしてその時点での目の前にある対象との距離感はものすごく曖昧なものです。近いのか遠いのかわからない。

 

だから様々な手段を使って、間との距離感を測り、間との距離感を埋めようとしてきました。その歴史の中で青色、時計、町内会が発明されたんだろうなと妄想が膨らみます。間のルーツを辿るつもりが、間が様々な物事のルーツになっているということしかわかりませんでした。僕と「間」の距離感はまだまだ曖昧なままです。

 

私とあなたの間にある曖昧な距離を、言葉で測れたらいいなと思う。

私とあなたの間にある曖昧な距離を、言葉で埋めることができたら最高。

 

シモダ