田舎の旅
タイトルは不可抗力ですが、「田舎」と「旅」の親和性は凄まじいですね。違和感がまったくない。ローカル番組のサブタイトルみたい。
ひょんなきっかけで田舎に帰ることになり、田舎でブログを更新することになったので、田舎について考えてみました。ふるさとは遠きにありて思うものと言いますが、むしろ近くに来たことで思うようになるなんて不思議なものです。
みなさんには田舎ってありますか?
すでに親元を離れて上京されている方にとっては当然実家がそれに当たると思います。そうじゃなくても両親の両親(まどろっこしい言い方をしましたが、祖父や祖母)が住んでいるところがそれにあたる人もいるかもしれません。二世帯三世帯で同じところ(しかも都会)で暮らしている方はそれに該当しないかもしれませんが、どうかこのままおつきあいください。僕にしてみれば都会に実家があることの方が羨ましいです。
そもそも田舎とは「都会から離れた土地」のことを指していて、都市の誕生によって初めてその対をなす概念として生まれました。主に農村や漁村など、人口や住宅がまばらな辺境な地域がそれに当たります。日本でも日本書紀や万葉集の時代からすでに「田舎」の語が現れていたとされています。確かにこの時期にはすでに都がありました。
冒頭の某有名な詩にもあるように、田舎は一部の人にとっては「ふるさと」として度々読み替えられます。その背景には「定住」という概念があります。一つのところに留まる考え方がなければ、そもそも帰る場所としての田舎もありません。ただ定住を始めたばかりの農耕民族が里帰りしているのを想像することが難しい理由は、この頃にはまだ都市がなかったからということでなんとなく片付けられそうです。
以上から導き出される故郷としての田舎を考えるにあたって大事な要素がこちら。
1.都市(対比的に)
2.定住という概念
都市がなければ田舎もないし、どこかに定住するという思考がなければ故郷という概念もなくなりそうです。裏を返せば対比としての都市の存在を目の当たりにしつつ、どっしりどこかに腰を据えたいという考えが浸透している人の中に最も色濃く焼きつきそうな概念です。ただ地方出身で都市生活しているだけではたいしてないであろう地方コンプレックスも、「定住」が頭をよぎった瞬間に一気に湧き出るのは僕もわりとそうだったので納得がいきます。もっと言えば故郷にいる家族は当然定住しているから、考え方の相違が生まれてしまう。解消するにはさっさと家を買うよりありません。
とはいえさすがに「家を買え」は乱暴すぎるので、もう少しだけ建設的に考えてみようと思います。「田舎」という概念に囚われている人たちがこの先少しでも楽になるような道はどこにあるのでしょうか。
1.都市
よほど文明が崩壊でもしない限りこの先もなくならないでしょう。日本に限って言えばむしろこれから少子高齢化、人口減少の煽りを受けて一極集中の傾向にあります。絶対面積が変わらないのであれば、都市が小さくなればなるほど、田舎は大きくなります。今現在は都市として括られている地域もこの先田舎に分類されてしまう日は来る可能性が非常に高いです。となると将来的に田舎という概念に囚われる人がより増えてしまいますね。一つも楽になりませんね。
2.定住という概念
1はもうどうにもならない流れなので、克服すべきはこの概念を捨てるところにあるような気がします。今現在都市で生活している人もいつどうなるかわからないので、よほど東京生まれHIPHOP育ちでもない限りこの先万人が共有する問題だと思います。ただし、「田舎を捨てる」ことになっては元も子もないので、もう少しハッピーな解決策を検討したいものです。あんまりやりすぎるとルーツの旅もあったもんじゃないので一旦この辺にしておきます。
動かないものはそこにずっとあるという安心感を与えてくれますが、それと同時にどこへでも行けるという自由を奪っていきます。どちらかに偏りすぎるのがいい事だとは思いませんが、丁度良いところでバランスをとるのは容易ではありません。考えず丁度良いバランスを取れている人は良いですが、それもこの先の社会のあり方によっては安泰じゃなくなるかもしれません。
自分が狩猟型か農耕型か知ることがバランスを保つ近道なのかなと思いながら、疲れたのでこの辺でさようなら。続きはまたどこか別の場所で。
シモダ