ルーツの旅

ルーツの旅

世の中に溢れる様々なもの、の中から気になるものを拾い上げてそれのルーツをたどります。

青色の旅

青の洞窟ってどんなとこだろう。

 

と思った瞬間に検索したらすぐに見つけられる。さらにストリートビューで家にいながら観光気分が味わえる。便利な時代になりましたね。それより何より「青の」って入力したら自動的に「洞窟」って単語が出てくる。便利で恐ろしい時代になりましたね。

 

ちょっと前に赤色を辿る旅はありましたが、今回は青色について思考を巡らせていきます。

 

あなたは「青色」と聞いてどんな色を思い浮かべますか?

 

なぜこんな質問をしたのか。青色ってものすごく曖昧な色というか、多くの系統色の総称的に使われているところがあります。空の色も青。海の色も青。信号の色も、芝生の色も、青。空の色をイメージしても僕の頭にある青とあなたの頭の中にある青は多分違う。そのくらい共有が難しい色です。ちなみに青の英訳がblueなのは初期英語で習いますが、RGBでは「青」と「blue」は異なる色です。そのくらい曖昧です。

 

先に挙げた信号や芝生の他にも、生育していない葉っぱやリンゴは、おそらく色的には緑色であるにもかかわらず頭に「青」がつきます。「あお」とも「みどり」とも読める碧という単語は両色の間が曖昧にしか区別されていなかったことを示すいい例です。

 

緑だけじゃなくて、暗め、濃いめの色も「青」で表されることがあります。馬の毛色を表す「青鹿毛」がその際たる例です。本当に青い毛色の馬がいたらそれはもうファンタジーです。「藍」や「群青」、もっと言えば「紺」ですらも大きく分類したら青色に含まれることがあります。

 

日本語の「アオ」は「アフ(会う・合う)」、または、その連用形の「アヒ=間(隣り合うの意)」と関連した語であると片山龍峯は考察しています。龍峯によれば、アオとは黒と白との範囲の中間色を意味する「間(アヒ)」から来ているとされ、さらに現世と他界の中間にまでその考察は繋がっていきます。間にあるすべての色が含まれるからこその曖昧さがあり、またこの世とあの世の間にあると(される)空の色が青いこととも繋がるとても面白い見解です。

 

青はその単語で感情を表すことができる数少ない語彙の一つです。ブルーな気持ちということがあっても、レッドな気持ちやイエローな気持ちなんて言うことはありません。他に使うのはグレーやブラック、ぐらいでしょうか。あとは少し前にオフホワイトが流行りましたが。「今日はブルー」というだけでなんとなく落ち込んでいるんだろうなということは伝わります。赤や黄色に比べて人の感情に近いところにある色だということがわかります。

 

生育していない葉っぱやリンゴと同じように人間の成長も青に喩えられることがあります。「ケツが青い」と言われて喜ぶ人はそうそういないとは思いますが、その言葉は子供を連想させます。一方で同じ青でもポジティブに使われているのが、「青春(セイシュン、今風に読むならアオハル)」の青。この色にはそこから成熟して色づいていく可能性が込められています。僕はこの青が大好きです。また、青春も子供と大人の中間にある時期で、ここにも青と間の関連性が見えます。

 

青色の解釈は人それぞれで、同じである必要はないと思います。それだけ人それぞれの青色があって、それはある意味その人特有の個性です。それでも空だったり海だったり、同じ青を誰かと共有できた時になんとなく嬉しく感じてしまうのは、それぞれの人生の間でその誰かと出会うことができたからなのかもしれないなって、青臭い感想で今回の旅は終わりにします。

 

心の青さだけは一生忘れないようにしたい。

 

シモダ