ルーツの旅

ルーツの旅

世の中に溢れる様々なもの、の中から気になるものを拾い上げてそれのルーツをたどります。

言葉の旅

僕らは日々、言葉をつかって生きています。

 

同僚との会話もそう。コンビニ店員さんとのやりとりだってそう。夜中のポエミーなツイートも、このブログだってそうです。僕らは言葉によって自らの認識を表現し、それを他者と共有しています。当たり前と言っちゃ当たり前ですね。

 

人は生まれた環境の言葉を一つずつ習得していきます。小さい子が周りに増えてきたので、一つずつ言葉を覚えていっている様子を目の当たりにする機会を多くなったのですが、「ぱ(パパ)」とか「ま(ママ)」しか喋れてなかった子がいつの間にか会話ができるようになってるにはいつも驚かされます。

 

言葉の意味を辞書で引くと、「人の発する音声のまとまりで、その社会に認められた意味を持っているもの。感情や思想が、音声または文字によって表現されたもの。言語。(大辞林)」と書かれています。音声のまとまりって表現が素敵です。

 

社会に共通認識として認められていないものは言葉になりえません。逆にどんな音声のまとまりでも社会の共通認識にさえなれば言葉になります。マジ卍。の意味は僕はまだよくわかってませんが、これも現在の日本では言葉の一つです。流行語です。

 

言葉が生まれた背景には社会がある。日本語だったり英語だったり、いわゆる「母国語」には、母国という個別社会の存在が必要です。とはいえ社会が生まれる以前にも言葉はあったはずです。旧約聖書ではもともと全ての人々は同じ言葉を用いていたと説かれています。有名なバベルの話。天に届くバベルの塔をつくり、神に挑戦しようとしたので、神が通じない異なる言語を話させるようにして人々を混乱させた、そんな神話です。それ以前の、まだコミュニティという概念がない人類は同じ言語を用いていたと考えても何らおかしくありません。「あー」とか「うー」とか「うほほ」とかで全人類がやり取りできていた時代があったとしたら、今必死に他国語を勉強してるのも何だか本末転倒な気がします。

 

こうしている間にも技術は日々進歩していて、今や携帯さえあれば異国の言語もスムーズに翻訳される時代になりました。ドラえもんひみつ道具、ほんやくこんにゃくが現実になっています。今ならもう一度バベルの塔をつくれるかもしれません。その場合神はどんな罰を与えてくるでしょうか。


言葉は使い方を間違えると毒になります。

 

誹謗中傷の書き込みから口喧嘩に至るまで、揉め事の大半は言葉によって巻き起こり、言葉によって増幅されます。言いすぎて後悔した経験は思春期を通り過ぎた人間には誰にだってあるだろうし、「沈黙は金」だなんて格言ができるのも納得です。
言葉には魂が宿ると言われていて、攻撃性を持って発された言葉は呪いとして相手にダメージを与えます。そして人を呪わば墓二つ、自分にも返ってきます。


一方で、言葉は正しく使えば薬になります。

 

落ち込んでいる時にそっと一言声をかける、それだけでは人は救われることがあります。黙ってそっと寄り添うだけでも気持ちは伝わるかもしれませんが、そこに適切な言葉を添えるだけでより効力は増すと思います。
また言葉は最強のモチベーターになります。目標は書くと達成する、というのはそこかしこの自己啓発本で見飽きるほどに言われていますが、確かに書いたことは意識として深く残り、結果成就する確率が高くなる、そんな気がします。

 

先にも書いたように、これから言語間の翻訳はどんどん機械化されていきます。そんな世の中で僕らが鍛えるべきは外国語ではなくて、自分の考えを言語化する力なんじゃないかと思っています。言いたいこと伝えたいことを言葉にする力があれば、世界中の誰とでもバベルの塔をつくれる未来が、きっとすぐにやってくるはずです。そしてその未来に備えて今僕らが磨いておかないといけないのは一つの事象を複数の言語で言えるようになる力じゃなくて、正しい言葉の用法を極めて他者に処方する力じゃないのかなと、考えています。


とはいえ毒にも薬にもならない話の方が案外楽しかったりしますよね。