ルーツの旅

ルーツの旅

世の中に溢れる様々なもの、の中から気になるものを拾い上げてそれのルーツをたどります。

モノポリーの旅

ボードゲームって楽しいなぁ。

冒頭から程度の低い発言をしたこと、深くお詫び申し上げます。先日、大阪市内の店内所狭しとボードゲームが置いてある某喫茶店に行ってきて。昼間からコーヒー片手にゲームに興じる優雅な休日を過ごしたのですが、その時ふと思ったことを何の脚色も誇張もせずにそのまま書きました。どうやら人は本当に楽しい時に言語能力を失うみたいです。興味ある方は是非ご一緒しましょう。

昔からテレビゲームよりもトランプや将棋の方に熱中しやすい、ちょっぴり暗めの青春時代を過ごしてきました。年頃の子供の家にはゲーム機がないと周りの子達と一緒に遊べないのではという、我が子の身を案じる優しい両親の気持ちを踏みにじるかのように各種ゲームハードは部屋の片隅で埃をかぶっていました。

そもそも好きとか嫌いとかの次元で語れないくらい、テレビゲームが苦手です。野球ゲームをしたらバットにボールが当たらない。サッカーゲームをしたらシュートが枠に入らない。格闘ゲームをしたらサンドバッグ。とスピード感を求められる対戦ゲームにはことごとく辛酸を舐めさせられてきました。思えば僕がテレビゲームから学んだことは、「挫折」だけなのかもしれません。・・・学ぶことがあってよかったです。

そんなこんなあって盤上で駒を動かす系のゲームの方に親和性が高い頭と身体になってしまったのですが、数あるゲームの中でもモノポリーというボードゲームが大好きです。もうほんとに大好き。

モノポリーに触れたことがない方のために簡単に説明します。双六の盤上をぐるぐるしながら土地を買ったり、建物を建てたりして資産を増やしつつ、対戦相手を破産させたら勝ち。単純明快です。とはいえまあまあシビアなルールなので、一歩間違えば盤外の人間関係にも影響を与える可能性がある危険なゲームです。

モノポリーの原型はアメリカのエリザベス・マギーによって制作された「The Landlord's Game 」だとされています。このゲームはアメリカ各地でアレンジやローカライズを加えて伝播しており、そのひとつとして1932年にダン・レイマンによって「FINANCE」というゲームに改良されました。1933年に当時失業中だったチャールズ・B・ダロウが知人に紹介されたFINANCEに惚れ込んで、ボードのデザイン等を改良して現在のモノポリーを完成させたとされています。その後1935年に初めて一般販売され、大不況の中爆発的にヒットし、ダロウは巨万の富を得ることになりました。アメリカンドリームですね。

日本でモノポリーが爆発的にヒットしたのは、1986年に笑っていいとものテレフォンショッキングに出演した糸井重里さんが紹介したのがきっかけです。ちなみに糸井さんは日本モノポリー協会の会長でもあります。多才ですね。


このゲーム一番の醍醐味は「盤外交渉が自由」、これにつきます。

プレイヤー同士でゲームの最中に話しながらお互いの利益のために協力したり裏切ったり(裏切りはあまりおすすめしませんが。。)、状況状況で常に駆け引きが発生します。双六の状況が良くても交渉によって不利になってしまう可能性もあり、またその逆もあります。そんな中でモノポリー(独占)できたときの興奮たるや!(独占されたときの絶望もその分大きいですが。。)

土地はもともと誰のものでもありませんでした。原始の、狩猟によって暮らしていた頃の人類は1つの地域に留まることなく、食料を求めて常に移動を繰り返していたと言われています。その後生活様式が農耕へと変容したことで食料の貯蔵が可能になり、定住という概念が生まれました。ただこの時はまだ自分の土地という明確な定めはなく、外敵に襲われたら場所を放棄して逃げ出す程度のものでした。土地を所有しているという概念がまだなかったのです。

土地を個人で所有するようになった時期は世界各地でまちまちですが、日本では墾田永年私財法が定められた743年が大きな転換期になったと考えられています。読んで字のごとく、開墾した土地はずっと私財にしていいよっていう定めです。それまでは三世一身法によって一定期間(三世代)までしか所有できなかったものを、永遠に持つことができるようになりました。それ以降土地は個人が所有するものとなり、「持つ者」と「持たざる者」を明確に線引きしてしまう結果になりました。

モノポリーの話から飛躍しましたが、ルールの中で動いていくのは実生活もゲームも同じです。土地にしろ何にしろ、何かを欲しいと思うのは正しい人の感情だと僕は思います。そこを抑圧してしまったらやりたいことはできなくなってしまう。とはいえ実生活では何かとリスクも付きまといます。来るべき時にぶつけるエネルギーの方向を間違えてしまわないように、あらかじめ色々シミュレーションしておく。そのためにゲームはあるのではないでしょうか。

またモノポリー制作の話もそうですが、ルールは作ってしまったもん勝ちの部分が少なくとも今の世の中にはあります。むしろモノポリー完成当時よりその自由度は増しているような気がします。すでにあるアイデアの組み替えでもなんでも、独自でルールを作ってしまう自由な発想を持つことが、これからを生きていく中で重要なのではないかと、今ほんのり思っています。

ルールは守るものであり、作るものでもある。

シモダ