ルーツの旅

ルーツの旅

世の中に溢れる様々なもの、の中から気になるものを拾い上げてそれのルーツをたどります。

数える旅

助数詞と聞いてピンとくるでしょうか?

 

「本」とか「枚」、「件」、「人」など、挙げるとキリがないですが、要するに物の数を数える際に数字のあとに付属する部分のことです。

本来の意味とはややずれるのですが、「単位」と呼ばれることもあります。

 

日本語はこの助数詞に関して特に豊富な語彙を持ち合わせている言語です。

長さや厚さなど形状に合わせて使い分けられたり、その物が持っている機能・特性など、様々な切り口から物の数え方が規定されています。

ある物が複数の助数詞と結びついていることも全く珍しいことではありません。

そしてほとんどの人が、高等教育を受ける以前から概ね正しい助数詞の使い方を理解し、意識せずとも使い分けている。これは、初めて日本語を学ぶ他言語話者などの目線で考えてみれば、驚くべきことではないでしょうか。

 

 

ユニークな助数詞の代表的なものといえば「丁」。

これで豆腐から拳銃まで対応できる、振り幅の大きい助数詞です。

「丁」は一文字で「偶数」の意味。賭けで使われる「半(奇数)か丁(偶数)か」の丁ですね。豆腐は、大きくつくったものを真ん中で半分に割ることから丁と数えられるようになったそうです。

そして拳銃を数える際の「丁」は実は「梃」(てこ、チョウ)を省略したもの。梃は今ではあまり使われませんが、槍、鋤(すき)、鍬(くわ)などの細長いものを数える際に使われます。なんだか切れ味の鋭そうなものばかりですね。

 

 

カバー範囲の広さでは、「基」に勝るものはありません。

井戸、エンジン、灯篭、墓石、神輿、信号機、ピラミッド、ベンチ、果ては人工衛星まで、すべて基で数えることができます。

「基」が一文字で意味するのは建物の土台=物事の礎。そこから、「据え置かれているもの」に共通の助数詞が「基」となったようです。

井戸などはもちろんのこと、神輿も祭りのとき以外は神社の中や専用の蔵に保管されていて、人間一人の手では到底動かすことができません。人工衛星は規定の周回軌道に据えられ、円運動を繰り返しています。

おもしろいのは魚のヒレも1基、2基と数えられること。たしかに魚の胴体に固定されていると考えると、分からなくはないです。ロボ魚みたいですね。

 

 

日本語の助数詞を特徴付けているのは、そのバリエーションの豊富さだけでなく、数え方の裏に物語性があること。

 

たとえばウサギは「羽」で数えられます。

羽は基本的には鳥を数える際にしか使われません。この理由には諸説あり、獣を食べることができない僧侶が2本足で跳ねるウサギを鳥だと主張するために1羽、2羽という数え方をしたという有名な説や、漢字で「兎鷺」(鷺は鳥の「サギ」)と書かれることで言葉の上では鳥類として扱われていたという俗説まであります。

 

「匹」よりも大きい動物のイメージがある「頭」。

たしかに牛やゾウは匹よりも頭のほうが馴染みが良いですが、警察犬だとチワワのような小型犬でもなんとなく頭で数えた方がおさまりが良く、意外なのは蚕(カイコ)も頭で数えるということ。

単に物理的な大きさだけでなく人との関わりの深さが、匹と頭を分けるひとつの境界線になっているようです。蚕は体は小さいですが、蚕の作る絹糸は古くから産業に欠かせないものでした。

 

そして日本人の食文化とは切っても切れない関係にある箸の数え方は「膳」。

膳とは一人前の食事を載せる台。つまり、食卓そのものと言えます。ひとつの食事をもって、ひと組みの箸を数える。以前の記事でも紹介したメトニミー的連想が働き、食という行為あるいは物語が箸の裏から顔を覗かせています。

 

 

日本の助数詞に固有の物語性は、英語と比較するとなお顕著です。

 

英語文法では基本的に助数詞という考え方はなく、"a ball"、"two balls"というように、名刺の頭に数詞をつけることだけで物の数的表現が可能です。

例外的に日本の助数詞に近い用法がみとめられるのが、不可算名詞と集合名詞。

前者はa piece of paper(1枚の紙)のような形。これはpaperなどのそれ単体では数えられないと定義されている名詞を数える際に使う表現です。

後者はtwo head of cattleのような形で表されるもので、cattleのようにもともとの語義が複数で、複数形のsなどがつかない名詞に対し使われます。

 

しかしこれらはいずれも、どうしても発生してしまうイレギュラーな表現を、元々あった統語規則に沿った形にするため便宜的に開発したような「機能感」が感じられ、非常に無機質なものになっているのです。

これに対し、日本語の数の表現はたとえば「頭」という助数詞に明らかであったように、ものと人との関わりにその呼び名を探る試みがされているように感じられるのです。

 

 

「数え方」に実は言葉の本質的な何かが隠されているのかもしれません。

 

 

 

「パンツ一丁」という数え方があります。

「パンツ二丁」はあまり聞いたことないですが、

丁という字は見事にうまくパンツを表しています。

 

nadi