ルーツの旅

ルーツの旅

世の中に溢れる様々なもの、の中から気になるものを拾い上げてそれのルーツをたどります。

焼酎の旅

最近、焼酎の沼に嵌りつつあります。

 

若者を中心に酒離れが進みつつある世の中で、あえて今お酒の話をすることにどれだけの意味があるのかはわかりませんが、そもそもここに書いて与えている影響なんて砂浜の砂一粒にも満たないほど小さなものだと自負しているので、書かせていただきます。

 

そもそも焼酎とは蒸留酒(↔︎醸造酒)の一種で、その中でも以下の条件を満たす酒類のことをいいます。

発芽した穀類を使用していない。(ウィスキーとの区別)
白樺の炭などで濾過していない。(ウォッカとの区別)
蒸留時に別途定められている物品以外を添加しない。
アルコール度数が連続式で36度未満、単式で45度以下である。

 

ここはテストに出るわけでもないので、覚える必要は全くありません。むしろ酒の席で薀蓄たれると煙たがられることもあるかもしれないので、忘れましょう。

 

世界的な焼酎の起源については未だよくわかっていないものの、日本では14世紀中頃、当時中国から琉球に「南蛮酒」という蒸留酒の形で伝来したと言われています。その後国内では1546年に薩摩国ポルトガル商人が米焼酎を飲んだことが記録として残されており、少なくともその頃から蒸留酒が存在していたことがわかっています。今も焼酎文化が九州を中心に根付いているのは、そもそも当時の外国文化の入り口によるものなんですね。

鉄砲伝来も種子島ですし、当時南蛮渡来のものはまず琉球薩摩とかその辺りに伝わってそこから日本に広がっていったとすると、日本の最先端が九州だった時代もあったんだと嬉しく思います。(九州出身)

 

そしてその後日本で度々訪れる焼酎ブーム。70年代の第一次焼酎ブーム(薩摩白波)はまだ生まれていなかったのでわからないものの、それ以降はテレビCMでもよく見ていました。九州に住んでいたので他地域よりも放映頻度が高かったのかもしれませんが、二階堂や白波のCMはものすごく印象に残っています。

いいちこ(下町のナポレオン)に代表される80年代の第二次ブームで焼酎は大衆の(中でも若者が飲む安価な)お酒として広く認知されるようになりました。この当時はまだ未成年だったのでお酒のお世話にはなっていませんでしたが、もしこの時大人だったらバブル経済の最中でどれだけ飲んでいたかわかりません。当時成人していた人たちはどうだったんでしょうか。

2000年に入ると芋焼酎ブームがやってきます。ナイナイ矢部さんがテレビのバラエティ番組で旨いと言ったことで黒霧島が爆発的に流行したのは有名な話。魔王・森伊蔵・村尾は芋焼酎界の「3M」と呼ばれ、プレミアがついて入手困難、定価以上の高額でやり取りされるようになりました。

 

こうやって変遷を見ていくと流行の広がり方が変わってきている様子がわかります。今みたいにネットが普及していない時代はまだテレビCMが重大な影響力を持っていて、販売者から購入者への一方向的な消費煽動がされていました。キャッチコピーが全て、みたいな時代がおそらく当時あったのでしょう。

そこから技術が進歩するにつれて双方向的なコミュニケーションが可能になり、いわゆる「口コミ」の影響力が高まる方へシフトしていってます。有名人とか好きな芸能人、もっと言えば周りの友達なんかが勧めた商品の方を買いたくなってしまう。みんなが欲しいって言ってるものはとりあえず自分も欲しいから自ずとプレミアが付いてしまう。

そんな最中で録画機器の発展も相まって、テレビCMはチャプターによって切り取られとばされてしまう「無駄な時間」になってしまいました。

・・・そう考えると最近印象に残ってるCMってあんまりないです。(テレビ自体見る頻度が減ったのもあるかもしれませんが)

 

そんなこんなで飲み継がれている焼酎ですが、なんかやっぱり僕らの世代(やもっと若い世代)ではイマイチ流通していないというか良さが伝わっていないような気がしていて、それを砂浜の中で憂いています。なぜでしょう?

 

今パッと脳裏に浮かんだだけでも書き出したら終わりなき旅になりそうです。とはいえ皆さんもそろそろ読み疲れてきたと思うので、一つだけ挙げるなら、その「飲み方の難しさ」にあると思います。こだわりだしたらキリがないというかなんというか。

 

これはあくまで個人的経験レベルの話なんですが、大半の居酒屋で頼む焼酎(特にお湯割)ってあんまり美味しくないんですよね。中には本当に素晴らしいお湯割を出してくれるお店もありますし、そういう所ではむしろお湯割を頼みます。が、そうではない熱湯とりあえず入れときました系で出すお店ではなるべく他のお酒を頼むようにしています。

 

焼酎蔵の方々は精魂込めてお酒を造られています。けれどそうやってできた焼酎をストレートで飲むことはあまりなくて、氷や水やお湯を入れることが殆どです。造り手がつくったものに手を加える。飲む前にその一工程が必要になります。そしてそこが本当に難しい。

すでに出来上がっているものに何かを加えることはとても繊細な作業です。そもそもの状態が素晴らしいものであれば、尚更に。どれだけプレミアがついた有名なお酒でも、その後の工程で台無しになってしまうことは多々あります。そしてそれをネームバリューだけで美味しいと見なしてしまうか、疑問点を持つかは僕ら飲み手が考えること。

 

お酒は難しいことを考えずに楽しく飲めるのが一番だと思いますが、ほんのちょっと視点を変えてみるだけでもより美味しく、より楽しく味わえることができる面白い素材です。これは別に焼酎に限った話でもないですが、「考える材料にする」のが物事を楽しくするヒントになるのかもしれません。

 

ブームに踊らされるんじゃなくて、

自らの意思で踊る人間に僕は憧れます。

 

シモダ