ルーツの旅

ルーツの旅

世の中に溢れる様々なもの、の中から気になるものを拾い上げてそれのルーツをたどります。

村と共同体の旅

世界がもし100人の村だったら

 

こんな本が流行った時期が一昔前にありました。

 

細かな内容はびっくりするくらい覚えてないですが、世界の中で〇〇な人は100人中何人みたいに人口の割合を示す本だったはずです。もし違ってたらごめんなさい。

何十億人のうち何千万人って言われると自分のこととしてイメージできないような話でも、百人中何人にすることでなんとなくの規模感がわかる。ものすごく面白い物の捉え方だなってその当時目からウロコを落とした記憶があります。(本の内容は全く覚えてないですが)と、同時にその100人の集団を「村」と表現しているところにひどく胸がときめいた記憶があります。

 

思えばその頃から僕は「村」という括りに対して並々ならぬ感情を持つようになり、理想の集団や組織像について考えたり人に伝えたりする時にはよく「村」という単語を使うようになりました。ことあるごとに「むらづくりをしたい」なんてことを言っていたから、聴く人が聞いたら頭おかしいと思われていたかもしれません。皆が優しくて助かりました。

 

そもそも「村」ってなんなんでしょう。

 

今現在の生活区分、自治体としての村(市町村)は明治時代、中央集権化が進められたことにより行政的な分類が必要となったため作られたものだと言われています。今でこそ当たり前のようにありますが、もし分類が都道府県までしかなかったら、誰かに手紙一枚送ることもできません。その他色々な面で今日の生活に必要な「住所」としての分類があります。あって良かったです。

 

一方でそれまでに形成されていた村は「自然村」と呼ばれ、それはあくまで共同生活を行う一まとまりの集団のことを指していました。日本史を学んでいた人であれば記憶にあるかもしれませんが、中世日本における惣(惣村)も百姓が自主的に共同体を形成していることから、自然村のひとつの形として考えることができます。地域で生活を共にしていた人たちが、その中で個別の規則やしきたりを作っていく過程でできた集団であり、地縁の影響を大きく受けるものでした。

 

ふたつの村が出てきてわかりにくいので、ここからは行政村を「村」、自然村を「ムラ」として話を進めていきます。

 

昨今、共同体としてのムラが再び注目を集めているような気配がします。ムラっていうよりコミュニティなんかの単語の方がしっくりくるかもしれません。

 

その背景には行政としての村(国や県など)に対する大多数の人々の認識が変わってきていることがあり、その認識の変化がより大きい人ほどムラを求める傾向にあるんじゃないかというのが今のところの僕の見解です。

 

かつてはその地域に生まれてその地域で育ち、その地域で働き、その地域で死ぬ。そういう土着的な生活が一般的でした。今の僕らの祖父母世代や、下手したら親世代もそうかもしれません。転校生は珍しいし、県外は旅行で行くところだし、ましては国外で働くなんてよほどのエリートでなければ考えられなかったはずです。

 

でも今はそうじゃない。日本にとどまらず世界各地の人が故郷を離れて世界各地で生活をし、働き、死んでいく。そういうスタイルが当たり前になっています。「故郷は遠きにありて思うもの、帰るところにあるまじや」と室生犀星の詩がありますが、今となってはそれがもはや当たり前の考え方になっています。

 

そういう「村意識」の薄れが今日の生活の中では至る所に感じられ、「帰るところ」としての村が僕らの前からどんどんなくなっていきました。そしてそれと引き換えに僕らはどこででも生活できる自由を手にすることができました。

 

自由は時に恐怖にもなります。僕ら人間はひとりではなにもできません。疲れた時に羽を休める場所は欲しいし、錦を飾る場所も必要。誰かのために頑張りたいし、より良い暮らしを求めて周囲と協力したいし、競い合いたい。そんな様々なモチベーションの行き着く先として先にあげたムラ(共同体)の必要性が出てきたと、僕は今感じています。

なんだって一人でやるより誰かとやる方が楽しいです。

 

ルーツを辿る旅から脱線甚だしいので、この辺で筆をおきます。が、話はまだまだ尽きませんし、今読んでくれているあなたとも改めて楽しいムラづくりの話がしたいです。

 

あなたならどんなムラを作りますか?

 

シモダ