ルーツの旅

ルーツの旅

世の中に溢れる様々なもの、の中から気になるものを拾い上げてそれのルーツをたどります。

純喫茶と贅沢とユーモアの旅

2018年、僕の中では空前の純喫茶ブームが来ています。

 

舌が敏感な方ではない僕の心をくすぐるのはもっぱら、癖のある看板のロゴや、古びた木のテーブル、銀の砂糖入れ、厚みのあるおしぼり、黄ばんだメニューなど、お店の環境を作っているハードの部分です。

変わっていく世の中を尻目に変わらなかった「世界の片隅」を垣間見ているような気がして、同時にどうしても見過ごすことのできない(見過ごしてはいけない)何かが、そこにはあるような気がしてならないのです。

 

 

日本で喫茶店という業態が開発されるはるか以前、カフェのルーツは1554年、オスマン帝国(現在のトルコ)の都コンスタンティノープルに始まります。その後、17世紀になるとウィーンやパリ、ロンドンなどのヨーロッパ諸都市にカフェの文化は波及しました。

 

(余談ですが、「カフェ」とはもともと「コーヒーという飲み物」自体を指していたものが「コーヒーを飲む場所」を指すように意味が横滑りした歴史があるので、以前のブログで紹介したメトニミー的な意味派生を経験している言葉です。)

 

ヨーロッパを中心に普及したカフェは、ただコーヒーを飲むだけではなく知識人や思想家、芸術家など(僕は「社会のメインストリームから一歩引いた視座から、本質を見極めようとする姿勢を常にもっていた人たち」だと考えています)が情報交換や議論をするサロンとしての機能も持っていました。

実際、最初期のカフェが興ったオスマン帝国では16世紀末にカフェでの政治批判が問題となり、カフェ閉鎖令が出されたという歴史があります。

 

建築家のクリストファー・アレグザンダーがカフェの存在理由として「人びとが衆目のなかで合法的に腰をおろし、移りゆく世界をのんびり眺められる場所としての機能」を挙げていることは、言い得て妙です。

また、こういった談論とカフェとの文化的つながりは"talk over coffee"(コーヒーを飲みながら話す)というイディオムが現代英語に残されていることにも表れています。

 

海を越えて、日本で初めてのカフェがオープンしたのは1911年。

銀座に「カフェー・プランタン」が、パリのカフェを模倣した文学者や芸術家の交際の場として開業しました。本場ヨーロッパと違ったのは、女性の給仕(ウェイトレス)を置いていたことです。

 

大正から昭和初期にかけて、カフェはこの女性給仕によるサービスを売り物にするようになりました。夜にはアルコール類を提供し、隣に座った女性の給仕にチップを払うという今でいうキャバクラのような風俗的業態に方向転換していったのです。

 

しかし、全てのカフェが風俗営業を行なったわけではありません。

中にはもちろん、喫茶と談論の場としての機能にあくまでもこだわったカフェも多く存在しました。

彼らは自分たちを風俗営業を行う喫茶店から区別するために、自分たちの業態を文字通りピュアな喫茶店として「純喫茶」と再命名(レトロニム)しました。

 

これが、日本における「純喫茶」のルーツです。

 

 

去年の僕のテーマは、好きなロックミュージシャンの書いた曲から引用した「贅沢とユーモア」でした。

時代の遺物とも思われがちな純喫茶にこそ贅沢とユーモアが体現されていると気づいたのは今年に入ってからのこと。

 

純喫茶のコーヒーって、今風のチェーン店と比べてちょっと高いんですよね。

内装は開店当時の流行を反映してか、今見ると装飾過多だったり、どことなく変な意匠が取り入れられている。

 

贅沢とは必要最低限よりちょっとだけ多くのお金や時間を(わざわざ)かけること。

ユーモアとは日常のなかの少しの違和感を楽しむこと。

 

この2つを意識するだけで、黙っていても過ぎていってしまう時間をいつもより少しは大事にしてあげられると思うのです。

 

「贅沢とユーモア」、気に入ったので今年も僕のテーマのひとつに据え置こうと思います。

 

nadi