ルーツの旅

ルーツの旅

世の中に溢れる様々なもの、の中から気になるものを拾い上げてそれのルーツをたどります。

火の旅

僕が高校を卒業するまで住んでいた街は、JRも通っていないような田舎の片隅にありました。子供心をくすぐるような娯楽施設なんて当然なくて、僕らの遊び場は基本的に公園や山でした。あとは市民体育館の卓球場とか。

 

今みたいにスマートフォンが流通しているわけでもなく、ましてやHuluやNetflixなんかあるわけもない。かろうじてある小さなTSUTAYAにビデオを借りにいく。もしくは金曜ロードショーまで我慢する。そんなエンタメに乏しい生活の中でも、週刊少年ジャンプだけはほぼ全ての少年が読んでいました。みんな火曜日を待ち焦がれ、いち早く雑誌を手に入れようと駄菓子屋に駆け込み、学校に持ち込み回し読みしていました。個人的には木曜日の週刊少年マガジンも愛読していました。

 

そんな生活にどっぷり18年間染まった状態で地元を離れ、都会に出てきてまず驚いたのがジャンプの発売日が火曜日じゃなかったこと。マガジンの発売日が木曜日じゃなかったこと。でした。月曜日のコンビニには当然のようにジャンプが並んでるし、水曜にはマガジンが手に入る。自分の中での当たり前が世間の当たり前じゃないことに気づいた瞬間。でした。

 

ただ僕にとっては今でもジャンプは火曜日。

毎週フライングで読めるのが嬉しい。

 

そんな火曜日。なので火にまつわる話でも。

 

彼此云十年前僕らの祖先が火を使い始め、約30年前には人類はもう日常的に火を扱っていたとされています。ある時は光源として、ある時は熱源として、またある時は外敵に対する威嚇として、火は人類を守り続けてきました。住居(屋根)がつくられるようになったきっかけは、火を雨風から守るためだとも言われています。

より多くの食物を美味しく且つ安全に食べることができるようになったのも、火(加熱調理という手法)によって人類が得た大きな利益です。ユッケも美味しいですが。。。

火を道具として使いこなすことで、人々は知恵をつけてきたのかもしれません。

 

ながーーーーーい間人類の身近なところにあったからか、火は様々な象徴としても扱われているような気がします。見えないものの喩えとしての火について、今思いつく限り列記していきます。

 

1.生命の象徴

風前の灯(ともしび)に代表されるように、火は生命力を表すものとして度々描かれています。ろうそくの炎がその人の寿命みたいな話だったり、不死鳥が火の鳥なのもそのあたり関係してそう。BUMP OF CHICKENのfire signも。

 

2.根拠の象徴

火のないところに煙は立たぬ。火は時折いわゆる「根拠」のイメージとして使われています。火を見るより明らか、なんてのも「火=根拠」を前提としてそれを上回る根拠(もう絶対的なそれ)の前でしか使いません。

 

3.死(終わり)の象徴

死の象徴にも度々火が用いられます。1.の生命力に対応する形ならば「火が消える=死」。ろうそくの炎が消えるイメージでしょうか。またそもそも火のあるところは危ないところ。飛んで火にいる夏の虫、なんてのも「死にに行く」ことの喩えとして使われています。

 

4.恐怖の象徴

ブログが「炎上」したり、野球でピッチャーが打ち込まれて「火だるま」になること。3.の死に近いかもしれませんが、これらは恐怖の象徴です。僕も今このブログを更新するにあたり連日尻に火がついています。震えるほど楽しいです。

 

5.始まりの象徴

3.と順不同になりましたが、終わりがあれば当然始まりもありますよね。「火がつく」というのは何かの始まりを意味する言葉としてよく使われています。それが恐怖だったり恋心だったりで、心持ちは全く異なりますが。

 

6.伝説の象徴

初代ポケモン。(戦力になるかどうかはさておき)見た目は一番カッコよかった。

 

火は至極日常的に目にするし、使うものです。ただ今現在それを完全に扱いこなせてるのか。こなせてないと思います。こなせてたら消防関係者の仕事がなくなります。多分この先も完全に扱いこなせる日が来るとは思えない。そのくらい何があるかわからない一面もまだもっている。人類にとって「かかせないもの」であり「危険なもの」である。その二面性が様々なものの喩えにされる所以なのではないでしょうか。

 

火元の始末にはくれぐれもご注意を。

とはいえ尻に火がつくような状況はどんどん作りたい。

そう思いながら、明日のマガジン発売を待つ次第。

 

シモダ