信号と赤と1の旅
「青は、『進め』だな?」
「そうだよ」
「赤は?」
「『止まれ』だよ。当たり前だ」
「はたしてそうかな」
という会話で始まるコントがあります。
はたしてそうなのでしょうか?
これ、少し間違っていて、青は「進んでも良い」という意味らしいです。
回りくどいですね。責任逃れも甚だしい。
けれども、赤はやっぱり「止まれ」です。赤はなんで「止まれ」なのでしょうか?
もちろん科学的にちゃんと理由があって、赤という色は光の波長が長いため空気中の他の物質(ホコリとか、チリとか)の影響をあまり受けずに人の目に届くから、「止まれは赤」らしいです。
うーん、くそつまらん。
じゃあ青(緑)は?オレンジは?ピンクは?白は?目に届きにくいの?どうなの?と言われると、正直あんまり実感が湧かないです。
「止まれ」が「赤」なのには何か別のひみつがある気がしてならないのです。
勘の良い人はなんとなく想像されたかと思うのですが、自然界の中にたぶん答えはあって、赤は燃える炎の色。このメタファーが人が有史以前から触れてきた「赤色」のルーツなのでしょう。
動物にとって住処である山や森が燃えているとしたら生命と生活の危機に直結するわけですから、赤は記号的に危険の象徴として十分な役目を果たすわけです。
実際、世の中の「危険信号」はそのほとんどが顕著に赤色をしています。
踏切、三角コーン、消防車、パトランプ、唐辛子、教科書の大事なキーワード、など。
あとお風呂場の水道の温度調節のハンドルとかにも40℃以上は赤色の矢印とかが引かれていますが、これは危険というより熱のメタファーかもしれないですね。
実はでも、ここまではまだそんなに面白くはなくて「ふーん」とか「まあそうだろ」みたいな話。ここからが本題で、何かというと赤色には「1」という数字のイメージがつきまとうのです。
長男であり主人公であるマリオは赤。ルイージは緑。
セサミストリートの主人公エルモは赤。ビッグバードは黄色でクッキーモンスターは青。
スーパー戦隊シリーズの真ん中は赤。(「男の子の色は青」にもかかわらず)
個人差はあるかもしれませんが、アルファベットの「A」に色をつけろと言われたら僕は迷いなく赤色にします。同じ理由で「あ」も赤色。
こう考えると、人は何かただならぬ執着を「赤」という色に重ねているような気がします。生物としてのテリトリーを脅かす存在であるにもかかわらずそのエネルギーを享受し文明として発展を続けてきた、火に対する人の畏敬の念がそこには込められているのかもしれません。
エネルギーというと、地球上のあらゆるエネルギーの源は太陽エネルギー、とは物理か何かの授業で習った気がします。
たしかに太陽は赤色…!というのは早合点で、太陽を赤色で表現するのは日本と一部のアジアの国だけだそうで、ヨーロッパほか多くの国では黄色で表現することが多いらしいです。実際、欧米圏の絵本やイラストなどでは太陽は軒並み黄色で表現されています。(アルゼンチンと日本の国旗を見比べてみましょう)
ううん、一筋縄では行かないな、赤色。