ルーツの旅

ルーツの旅

世の中に溢れる様々なもの、の中から気になるものを拾い上げてそれのルーツをたどります。

月の旅

僕らの生まれてくるずっとずっと前にはもう

アポロ11号は月に行ったっていうのに

 

というフレーズで始まる歌があります。

 

自身の干支が卯年だからというわけでもないですが、

時折意識してしまう、月。

 

 

狼男の変身に月が必要なように、

月、中でも満月は時折エネルギーの象徴として扱われます。

新月に願い事をすると叶うなんて迷信めいたことでも

なんとなく信じてみたくなるのもわからないでもありません。

 

そもそも月は未知の世界(別世界)でした。日本の文学作品で月が出てくる代表的なものに竹取物語がありますが、かぐや姫は月の住人で最終的にはおじいさんおばあさんの元を離れて遠い月に帰っていきました。月までどのくらいかかるのかも、どうやっていったらいいのかもわからない時代、そこが絶対にたどり着けないであろう果てしなく遠い場所として認識されていたであろうことは容易に想像できます。

 

だがしかし世の中に絶対はありません。知恵と技術の発達により、月までの距離を正確に示すことができるようになりました。その瞬間、月は果てしなく遠い未知の世界(憧れ)から頑張れば辿り着ける場所(ロマン)に変わりました。そして冒頭に挙げたアポロ計画で人類は月面に上陸する術を手に入れました。(月面着陸についてはフェイクだったという言説もありますが、信じるか信じないかは云々の話をするのが本題ではないのでさらっと流します。)

 

そしてそのロマンはとどまることを知らず、今も多くの企業、個人がロケット開発を進めています。民間人が旅行感覚で月に行ける日もそう遠くないのかもしれないし、月と地球の遠距離恋愛なんてアニメみたいなことも実際に出てくる日が来るかもしれません。

 

何事も憧れているうちはいつまでたっても憧れのまま。

ラブEメールフロムヴィーナスでもなんでもできる時代、

ロマンを追いかける側でいたい。

間の旅

 前回の旅で青色について辿りました。

青色は間の色というお土産を持って帰りました。

 

それ以降、間(ま、あいだ)についてぼんやりと考えています。そのせいで更新の間が空いてしまった。なんてことはないですが、今日は間についてつらつらと書いていきたいと思います。

 

さて突然ですが、あなたは「間」という単語から何を思い浮かべますか?

 

暮らしの中には、いろんな間があります。人との間で生きているから僕らは「人間」になる。世の中を泳いでいるとそこには「世間」がある。昨日と明日の間には今日という「時間」がある。何もないところに壁を建てるとそこには「空間」が生まれる。ブログの更新をサボればそこには「間隔」ができる。

 

尺貫法にある間(ケン)は、柱と柱の間隔を示す単位として使われていました。目の前に柱が2本ある方はそちらをご覧ください。その間の距離が1間。もし視界に他の柱がある方はそちらもご覧ください。その間の距離も1間。あなたが見ている柱と僕が見ている柱はおそらく違いますが、どっちも同じ1間です。その距離感は建物によって、下手すれば同じ建物でも場所によって異なる、そのくらい数値としては曖昧なものです。

 

曖昧さに着眼しながら考えていくと、上にあげた様々な間も総じて曖昧です。時計や壁、町内会などで区切ることによってその距離感を明確にすることはできますが、ただそれはあくまで人々によってつくられた定義みたいなもの。

 

例えば時計がなければいつまでが昨日でいつからが明日が認識することは難しいんじゃないでしょうか。いつ午前0時を過ぎてるかわからないから、ハッピーバースデーを一番に届けることもできない。午前2時がわからなければフミキリの前で望遠鏡を担いで待ちぼうけしかねない。西から昇ったお日様が東に沈む〜のような世界観しか残りません。それでいいのだ、なんて軽々しく言えません。

 

青色の旅でも書きましたが、間(アヒ)は会う(アフ)の連用形。文字通り僕らが間を形づくるのは、何かに出会った瞬間、何かを対象として認識した瞬間です。そしてその時点での目の前にある対象との距離感はものすごく曖昧なものです。近いのか遠いのかわからない。

 

だから様々な手段を使って、間との距離感を測り、間との距離感を埋めようとしてきました。その歴史の中で青色、時計、町内会が発明されたんだろうなと妄想が膨らみます。間のルーツを辿るつもりが、間が様々な物事のルーツになっているということしかわかりませんでした。僕と「間」の距離感はまだまだ曖昧なままです。

 

私とあなたの間にある曖昧な距離を、言葉で測れたらいいなと思う。

私とあなたの間にある曖昧な距離を、言葉で埋めることができたら最高。

 

シモダ

青色の旅

青の洞窟ってどんなとこだろう。

 

と思った瞬間に検索したらすぐに見つけられる。さらにストリートビューで家にいながら観光気分が味わえる。便利な時代になりましたね。それより何より「青の」って入力したら自動的に「洞窟」って単語が出てくる。便利で恐ろしい時代になりましたね。

 

ちょっと前に赤色を辿る旅はありましたが、今回は青色について思考を巡らせていきます。

 

あなたは「青色」と聞いてどんな色を思い浮かべますか?

 

なぜこんな質問をしたのか。青色ってものすごく曖昧な色というか、多くの系統色の総称的に使われているところがあります。空の色も青。海の色も青。信号の色も、芝生の色も、青。空の色をイメージしても僕の頭にある青とあなたの頭の中にある青は多分違う。そのくらい共有が難しい色です。ちなみに青の英訳がblueなのは初期英語で習いますが、RGBでは「青」と「blue」は異なる色です。そのくらい曖昧です。

 

先に挙げた信号や芝生の他にも、生育していない葉っぱやリンゴは、おそらく色的には緑色であるにもかかわらず頭に「青」がつきます。「あお」とも「みどり」とも読める碧という単語は両色の間が曖昧にしか区別されていなかったことを示すいい例です。

 

緑だけじゃなくて、暗め、濃いめの色も「青」で表されることがあります。馬の毛色を表す「青鹿毛」がその際たる例です。本当に青い毛色の馬がいたらそれはもうファンタジーです。「藍」や「群青」、もっと言えば「紺」ですらも大きく分類したら青色に含まれることがあります。

 

日本語の「アオ」は「アフ(会う・合う)」、または、その連用形の「アヒ=間(隣り合うの意)」と関連した語であると片山龍峯は考察しています。龍峯によれば、アオとは黒と白との範囲の中間色を意味する「間(アヒ)」から来ているとされ、さらに現世と他界の中間にまでその考察は繋がっていきます。間にあるすべての色が含まれるからこその曖昧さがあり、またこの世とあの世の間にあると(される)空の色が青いこととも繋がるとても面白い見解です。

 

青はその単語で感情を表すことができる数少ない語彙の一つです。ブルーな気持ちということがあっても、レッドな気持ちやイエローな気持ちなんて言うことはありません。他に使うのはグレーやブラック、ぐらいでしょうか。あとは少し前にオフホワイトが流行りましたが。「今日はブルー」というだけでなんとなく落ち込んでいるんだろうなということは伝わります。赤や黄色に比べて人の感情に近いところにある色だということがわかります。

 

生育していない葉っぱやリンゴと同じように人間の成長も青に喩えられることがあります。「ケツが青い」と言われて喜ぶ人はそうそういないとは思いますが、その言葉は子供を連想させます。一方で同じ青でもポジティブに使われているのが、「青春(セイシュン、今風に読むならアオハル)」の青。この色にはそこから成熟して色づいていく可能性が込められています。僕はこの青が大好きです。また、青春も子供と大人の中間にある時期で、ここにも青と間の関連性が見えます。

 

青色の解釈は人それぞれで、同じである必要はないと思います。それだけ人それぞれの青色があって、それはある意味その人特有の個性です。それでも空だったり海だったり、同じ青を誰かと共有できた時になんとなく嬉しく感じてしまうのは、それぞれの人生の間でその誰かと出会うことができたからなのかもしれないなって、青臭い感想で今回の旅は終わりにします。

 

心の青さだけは一生忘れないようにしたい。

 

シモダ

田舎の旅

タイトルは不可抗力ですが、「田舎」と「旅」の親和性は凄まじいですね。違和感がまったくない。ローカル番組のサブタイトルみたい。

 

ひょんなきっかけで田舎に帰ることになり、田舎でブログを更新することになったので、田舎について考えてみました。ふるさとは遠きにありて思うものと言いますが、むしろ近くに来たことで思うようになるなんて不思議なものです。

 

みなさんには田舎ってありますか?

 

すでに親元を離れて上京されている方にとっては当然実家がそれに当たると思います。そうじゃなくても両親の両親(まどろっこしい言い方をしましたが、祖父や祖母)が住んでいるところがそれにあたる人もいるかもしれません。二世帯三世帯で同じところ(しかも都会)で暮らしている方はそれに該当しないかもしれませんが、どうかこのままおつきあいください。僕にしてみれば都会に実家があることの方が羨ましいです。

 

そもそも田舎とは「都会から離れた土地」のことを指していて、都市の誕生によって初めてその対をなす概念として生まれました。主に農村や漁村など、人口や住宅がまばらな辺境な地域がそれに当たります。日本でも日本書紀万葉集の時代からすでに「田舎」の語が現れていたとされています。確かにこの時期にはすでに都がありました。

 

冒頭の某有名な詩にもあるように、田舎は一部の人にとっては「ふるさと」として度々読み替えられます。その背景には「定住」という概念があります。一つのところに留まる考え方がなければ、そもそも帰る場所としての田舎もありません。ただ定住を始めたばかりの農耕民族が里帰りしているのを想像することが難しい理由は、この頃にはまだ都市がなかったからということでなんとなく片付けられそうです。

 

以上から導き出される故郷としての田舎を考えるにあたって大事な要素がこちら。

 

1.都市(対比的に)

2.定住という概念

 

都市がなければ田舎もないし、どこかに定住するという思考がなければ故郷という概念もなくなりそうです。裏を返せば対比としての都市の存在を目の当たりにしつつ、どっしりどこかに腰を据えたいという考えが浸透している人の中に最も色濃く焼きつきそうな概念です。ただ地方出身で都市生活しているだけではたいしてないであろう地方コンプレックスも、「定住」が頭をよぎった瞬間に一気に湧き出るのは僕もわりとそうだったので納得がいきます。もっと言えば故郷にいる家族は当然定住しているから、考え方の相違が生まれてしまう。解消するにはさっさと家を買うよりありません。

 

とはいえさすがに「家を買え」は乱暴すぎるので、もう少しだけ建設的に考えてみようと思います。「田舎」という概念に囚われている人たちがこの先少しでも楽になるような道はどこにあるのでしょうか。

 

1.都市

よほど文明が崩壊でもしない限りこの先もなくならないでしょう。日本に限って言えばむしろこれから少子高齢化、人口減少の煽りを受けて一極集中の傾向にあります。絶対面積が変わらないのであれば、都市が小さくなればなるほど、田舎は大きくなります。今現在は都市として括られている地域もこの先田舎に分類されてしまう日は来る可能性が非常に高いです。となると将来的に田舎という概念に囚われる人がより増えてしまいますね。一つも楽になりませんね。

 

2.定住という概念

1はもうどうにもならない流れなので、克服すべきはこの概念を捨てるところにあるような気がします。今現在都市で生活している人もいつどうなるかわからないので、よほど東京生まれHIPHOP育ちでもない限りこの先万人が共有する問題だと思います。ただし、「田舎を捨てる」ことになっては元も子もないので、もう少しハッピーな解決策を検討したいものです。あんまりやりすぎるとルーツの旅もあったもんじゃないので一旦この辺にしておきます。

 

動かないものはそこにずっとあるという安心感を与えてくれますが、それと同時にどこへでも行けるという自由を奪っていきます。どちらかに偏りすぎるのがいい事だとは思いませんが、丁度良いところでバランスをとるのは容易ではありません。考えず丁度良いバランスを取れている人は良いですが、それもこの先の社会のあり方によっては安泰じゃなくなるかもしれません。

 

自分が狩猟型か農耕型か知ることがバランスを保つ近道なのかなと思いながら、疲れたのでこの辺でさようなら。続きはまたどこか別の場所で。

 

シモダ

言葉の旅

僕らは日々、言葉をつかって生きています。

 

同僚との会話もそう。コンビニ店員さんとのやりとりだってそう。夜中のポエミーなツイートも、このブログだってそうです。僕らは言葉によって自らの認識を表現し、それを他者と共有しています。当たり前と言っちゃ当たり前ですね。

 

人は生まれた環境の言葉を一つずつ習得していきます。小さい子が周りに増えてきたので、一つずつ言葉を覚えていっている様子を目の当たりにする機会を多くなったのですが、「ぱ(パパ)」とか「ま(ママ)」しか喋れてなかった子がいつの間にか会話ができるようになってるにはいつも驚かされます。

 

言葉の意味を辞書で引くと、「人の発する音声のまとまりで、その社会に認められた意味を持っているもの。感情や思想が、音声または文字によって表現されたもの。言語。(大辞林)」と書かれています。音声のまとまりって表現が素敵です。

 

社会に共通認識として認められていないものは言葉になりえません。逆にどんな音声のまとまりでも社会の共通認識にさえなれば言葉になります。マジ卍。の意味は僕はまだよくわかってませんが、これも現在の日本では言葉の一つです。流行語です。

 

言葉が生まれた背景には社会がある。日本語だったり英語だったり、いわゆる「母国語」には、母国という個別社会の存在が必要です。とはいえ社会が生まれる以前にも言葉はあったはずです。旧約聖書ではもともと全ての人々は同じ言葉を用いていたと説かれています。有名なバベルの話。天に届くバベルの塔をつくり、神に挑戦しようとしたので、神が通じない異なる言語を話させるようにして人々を混乱させた、そんな神話です。それ以前の、まだコミュニティという概念がない人類は同じ言語を用いていたと考えても何らおかしくありません。「あー」とか「うー」とか「うほほ」とかで全人類がやり取りできていた時代があったとしたら、今必死に他国語を勉強してるのも何だか本末転倒な気がします。

 

こうしている間にも技術は日々進歩していて、今や携帯さえあれば異国の言語もスムーズに翻訳される時代になりました。ドラえもんひみつ道具、ほんやくこんにゃくが現実になっています。今ならもう一度バベルの塔をつくれるかもしれません。その場合神はどんな罰を与えてくるでしょうか。


言葉は使い方を間違えると毒になります。

 

誹謗中傷の書き込みから口喧嘩に至るまで、揉め事の大半は言葉によって巻き起こり、言葉によって増幅されます。言いすぎて後悔した経験は思春期を通り過ぎた人間には誰にだってあるだろうし、「沈黙は金」だなんて格言ができるのも納得です。
言葉には魂が宿ると言われていて、攻撃性を持って発された言葉は呪いとして相手にダメージを与えます。そして人を呪わば墓二つ、自分にも返ってきます。


一方で、言葉は正しく使えば薬になります。

 

落ち込んでいる時にそっと一言声をかける、それだけでは人は救われることがあります。黙ってそっと寄り添うだけでも気持ちは伝わるかもしれませんが、そこに適切な言葉を添えるだけでより効力は増すと思います。
また言葉は最強のモチベーターになります。目標は書くと達成する、というのはそこかしこの自己啓発本で見飽きるほどに言われていますが、確かに書いたことは意識として深く残り、結果成就する確率が高くなる、そんな気がします。

 

先にも書いたように、これから言語間の翻訳はどんどん機械化されていきます。そんな世の中で僕らが鍛えるべきは外国語ではなくて、自分の考えを言語化する力なんじゃないかと思っています。言いたいこと伝えたいことを言葉にする力があれば、世界中の誰とでもバベルの塔をつくれる未来が、きっとすぐにやってくるはずです。そしてその未来に備えて今僕らが磨いておかないといけないのは一つの事象を複数の言語で言えるようになる力じゃなくて、正しい言葉の用法を極めて他者に処方する力じゃないのかなと、考えています。


とはいえ毒にも薬にもならない話の方が案外楽しかったりしますよね。

デザインの旅

世界はデザインに溢れています。

 

今僕の目の前にあるパソコンもデザイン。

今右手で取ったコーヒーカップもデザイン。

今ガラス窓の向こうを通り過ぎていった自転車もデザイン。

自転車に乗ったおばさんが手を突っ込んでいる巨大なミトンみたいなハンドルカバーもデザイン。

この文字の一つ一つもデザイン。

人が偶然性によらず故意に作り出したものは必ず何かしらのデザインをまとっていると言って差し支えないでしょう。

 

デザインというと、最も広く一般に使われるのは「意匠」と同じ意味で用いられるケース。

大辞林第三版によると意匠とは「美術工芸品・工業製品などの形・色・模様などをさまざまに工夫すること。また、その結果できた装飾。デザイン」と定義されています。

しかし、デザインを物の見た目に関してのみの意味に留めることはあまりにも狭義的で、このことについては今更ここに書くまでもないくらい多く議論がなされています。

 

wikipediaからの引用になってしまいますが、デザインとは

「具体的な問題を解決するために思考・概念の組み立てを行い、それを様々な媒体に応じて表現すること」。

この定義はかなり装飾的なので当然後付け的解釈が入っているかと思いますが、これをある面で裏付けるのが、"design"という言葉のルーツには"dessin"(デッサン)と同じくラテン語の"designare"(デジナーレ)があるということ。これは"de"+"signare"という構造で、"de"は今の英語でいう"from"、"signare"は"sign"。

なので"design"(=designare)とは「記号から表現された『何か』」だと考えることができます。

つまりデザインとは、表面の記号の奥にある何か。そこにデザインの本質が潜んでいます。

 

 

僕は、デザインとは予定調和だと考えます。

真面目に「予定調和」の語義を調べようとしたところ、議論があさっての方向に行きそうだったので(気になる方はどうぞgoogleでご検索ください)、ここでは「因果関係の予想と実態に相違がないこと」と簡単に考えておきます。

(たとえば、食パンをくわえた少女漫画の主人公が道で見知らぬ同年代の少年とぶつかる→実は転校生→恋の予感、みたいなものです)

 

デザインとは見た目についての創意工夫のことだけではないと言いました。そして、デザインとは問題解決であるというのはもはやありふれた考えです。

しかし、この二つは相反するものではなく、むしろ二人三脚の関係にあるというのが僕の考えです。つまり、正しく問題解決を図っているデザインは必然的に、ユーザーにはその見た目が美しいと感じられる。なぜなら、見た目からその物の本質を理解することにストレスを感じないからです。

 

たとえば、iPhone

基本的な動作は極めて単純明快で、直感的に理解し操作できるように設計されています。これはただ単にデザインがシンプルだからではなく、人の自然な動作や習慣を妨げないように綿密な分析をした上で最適なデザインがなされています。

iPhoneにそれまでのガラケーのような分厚い説明書がないのは、「見れば分かる」から。(少女が道でぶつかるのを)見れば、(少年と恋に落ちるのが)分かる。

これが予定調和です。

言いかえると、優れたデザインの条件とは、物の見た目から求められる解答が明らかであること、あるいはそれそのものが解答であることだと言えます。

 

 

この点でデザインと対立するものがアートという考え方です。

 

デザインが解答であることに対して、アートは問いかけです。

アートは答えを示さず、社会や人の心に課題や問いを投げかけ、かき乱します。だからしばしば、優れたアート作品の前で僕たちはどう行動していいかわからず、言葉を失い、場合によっては分かったようなフリをします。

デザインとは違ってそこに予定調和は存在せず、鑑賞者の動線が提供されていないからです。

 

 

ただデザイナーと呼ばれる人の中にも、たとえばファッションの分野ではコムデギャルソンの川久保玲のような、実際にはアート的な物をつくる人たちも存在します。

建築も一般的にはその中にいる人が快適に滞在できるようにデザインされるものですが、一部の建築家はデザインによる解答ではなく問いかけを重視し、きわめてアート的な前衛建築を生み出しています。

 

 

 

designと似た言葉に、"designate"という単語があります。

意味は「示す」。ここにもデザインの本質が顔を覗かせていますね。

 

 

周囲を見渡してみて、見渡さずとも目の前にある物をじっと凝視してみて、それがなぜそうデザインされているか。それは良くデザインされているか。

デザインのルーツに思いを巡らせてみるのも楽しいかもしれません。



nadi

 

モノポリーの旅

ボードゲームって楽しいなぁ。

冒頭から程度の低い発言をしたこと、深くお詫び申し上げます。先日、大阪市内の店内所狭しとボードゲームが置いてある某喫茶店に行ってきて。昼間からコーヒー片手にゲームに興じる優雅な休日を過ごしたのですが、その時ふと思ったことを何の脚色も誇張もせずにそのまま書きました。どうやら人は本当に楽しい時に言語能力を失うみたいです。興味ある方は是非ご一緒しましょう。

昔からテレビゲームよりもトランプや将棋の方に熱中しやすい、ちょっぴり暗めの青春時代を過ごしてきました。年頃の子供の家にはゲーム機がないと周りの子達と一緒に遊べないのではという、我が子の身を案じる優しい両親の気持ちを踏みにじるかのように各種ゲームハードは部屋の片隅で埃をかぶっていました。

そもそも好きとか嫌いとかの次元で語れないくらい、テレビゲームが苦手です。野球ゲームをしたらバットにボールが当たらない。サッカーゲームをしたらシュートが枠に入らない。格闘ゲームをしたらサンドバッグ。とスピード感を求められる対戦ゲームにはことごとく辛酸を舐めさせられてきました。思えば僕がテレビゲームから学んだことは、「挫折」だけなのかもしれません。・・・学ぶことがあってよかったです。

そんなこんなあって盤上で駒を動かす系のゲームの方に親和性が高い頭と身体になってしまったのですが、数あるゲームの中でもモノポリーというボードゲームが大好きです。もうほんとに大好き。

モノポリーに触れたことがない方のために簡単に説明します。双六の盤上をぐるぐるしながら土地を買ったり、建物を建てたりして資産を増やしつつ、対戦相手を破産させたら勝ち。単純明快です。とはいえまあまあシビアなルールなので、一歩間違えば盤外の人間関係にも影響を与える可能性がある危険なゲームです。

モノポリーの原型はアメリカのエリザベス・マギーによって制作された「The Landlord's Game 」だとされています。このゲームはアメリカ各地でアレンジやローカライズを加えて伝播しており、そのひとつとして1932年にダン・レイマンによって「FINANCE」というゲームに改良されました。1933年に当時失業中だったチャールズ・B・ダロウが知人に紹介されたFINANCEに惚れ込んで、ボードのデザイン等を改良して現在のモノポリーを完成させたとされています。その後1935年に初めて一般販売され、大不況の中爆発的にヒットし、ダロウは巨万の富を得ることになりました。アメリカンドリームですね。

日本でモノポリーが爆発的にヒットしたのは、1986年に笑っていいとものテレフォンショッキングに出演した糸井重里さんが紹介したのがきっかけです。ちなみに糸井さんは日本モノポリー協会の会長でもあります。多才ですね。


このゲーム一番の醍醐味は「盤外交渉が自由」、これにつきます。

プレイヤー同士でゲームの最中に話しながらお互いの利益のために協力したり裏切ったり(裏切りはあまりおすすめしませんが。。)、状況状況で常に駆け引きが発生します。双六の状況が良くても交渉によって不利になってしまう可能性もあり、またその逆もあります。そんな中でモノポリー(独占)できたときの興奮たるや!(独占されたときの絶望もその分大きいですが。。)

土地はもともと誰のものでもありませんでした。原始の、狩猟によって暮らしていた頃の人類は1つの地域に留まることなく、食料を求めて常に移動を繰り返していたと言われています。その後生活様式が農耕へと変容したことで食料の貯蔵が可能になり、定住という概念が生まれました。ただこの時はまだ自分の土地という明確な定めはなく、外敵に襲われたら場所を放棄して逃げ出す程度のものでした。土地を所有しているという概念がまだなかったのです。

土地を個人で所有するようになった時期は世界各地でまちまちですが、日本では墾田永年私財法が定められた743年が大きな転換期になったと考えられています。読んで字のごとく、開墾した土地はずっと私財にしていいよっていう定めです。それまでは三世一身法によって一定期間(三世代)までしか所有できなかったものを、永遠に持つことができるようになりました。それ以降土地は個人が所有するものとなり、「持つ者」と「持たざる者」を明確に線引きしてしまう結果になりました。

モノポリーの話から飛躍しましたが、ルールの中で動いていくのは実生活もゲームも同じです。土地にしろ何にしろ、何かを欲しいと思うのは正しい人の感情だと僕は思います。そこを抑圧してしまったらやりたいことはできなくなってしまう。とはいえ実生活では何かとリスクも付きまといます。来るべき時にぶつけるエネルギーの方向を間違えてしまわないように、あらかじめ色々シミュレーションしておく。そのためにゲームはあるのではないでしょうか。

またモノポリー制作の話もそうですが、ルールは作ってしまったもん勝ちの部分が少なくとも今の世の中にはあります。むしろモノポリー完成当時よりその自由度は増しているような気がします。すでにあるアイデアの組み替えでもなんでも、独自でルールを作ってしまう自由な発想を持つことが、これからを生きていく中で重要なのではないかと、今ほんのり思っています。

ルールは守るものであり、作るものでもある。

シモダ